あらゆる茶道具の中で、最も格が高い道具とされるのは茶入です。十六世紀、織田信長が「御茶湯御政道」として茶の湯に政治的権威を与え、特定の家臣に茶の湯を許可するとともに茶道具に格付けを行った当時から、茶入を最高位とする考えは今に至るまで変わっていません。中でも、利休の高弟・山上宗二が著した茶道具の秘伝書『山上宗二記』に天下三大茶入として紹介された「初花」「楢柴」「新田」という肩衝茶入は、現在でも大名物とされています。
高取焼味楽窯は、この肩衝茶入の伝統を受け継ぎ、更に高次なものへと磨き上げるために、代々技を磨き続けています。

名だたる武将達を魅了した
茶入「肩衝」

天下三大茶入「初花」「楢柴」「新田」。戦国時代に中国から日本に渡来したこの器は、茶を愛好する武将たちにとって、まさに至宝。その価値は所領一国をも凌ぎ、三つの肩衝を手中に収めるのは天下を治めるのに等しかったとされます。 事実、織田信長をはじめ時の権力者の手を渡りながら、全てを揃えることができたのは豊臣秀吉のみ。宝物には逸話もつきもので、大坂夏の陣により破損した「新田」は、その欠片が徳川家康の命により集められて漆で修復され、現在、彰考館徳川博物館に収蔵されているほどです。
多くの戦乱を潜り抜けて奇跡的に現存するこの肩衝の造りは、極めて精緻で繊細。当時の作陶技術で如何にしてこれが可能になったかと驚嘆するほど薄く、その厚みは約2㎜しかありません。

肩衝を極めてこそ高取焼

こうした戦国に端を発する茶の湯文化と、江戸時代初期に活躍した大名茶人・小堀遠州好みの「綺麗さび」を世界観にもち、黒田藩御用窯として開窯した高取焼の真髄は茶陶、特に肩衝茶入にうかがい知ることができます。天下人の手を渡り歩いた大名品「初花」のように、肩衝は薄造りであることにこそ価値があります。冒頭で触れたように「初花」は約2㎜の薄さを誇る肩衝ですが、十五代味楽が生み出す肩衝の薄さは、それを超える約1.5㎜。

味楽窯では伝統技法を継承するとともに、古の匠を超える境地へ辿り着くべく日々挑戦を試み、技を精錬し続けています。
2020年代の現在、私たちは秀吉たち天下人が手にした以上の茶陶を堪能することができるようになった、と言えるのかもしれません。