茶事と茶道具
日常茶飯事
茶道といえば「茶を喫するための作法」と思われがちですが、本来の茶事は食事(懐石)と茶を含めた約4時間のもてなしを指します。食事や茶を楽しむことは普段の生活と同じ、まさに「日常茶飯事」です。
しかし、主はお招きする客を思い、「この季節には、どんな料理をご用意し、どの掛軸や花を飾り、どのような茶道具で楽しんでいただこうか」と当日のシナリオをじっくり練り上げます。
一方、客は五感を澄ませて、おもてなしに込められた主の心を汲みとろうと努めるのです。
人と人が集い、皆が敬いあいいたわりあって、心をひとつにしようと静かに呼吸を合わせる。こうした清潔な時間を守るために、茶室はできるかぎり簡素を目指します。
それは、禅僧と禅院のありかたにも似ているでしょうか。近代日本の思想家・岡倉天心は『茶の本』(英題 The Book Of Tea)で次のように記しています。
茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序の浪漫主義を諄々と教えるものである。(中略)所謂人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てである。
食事と喫茶という日常行為を通して、皆が研ぎすまされた心を通い合わせるという「非日常」をかたちにする。
それは、禅の思想に通じるものです。事実、茶道は禅の茶礼が発展したものと考えられており、だからこそ日本を代表する精神文化とみなされるようになったのでしょう。
一期一会
いまや世界に広まっている感のある「一期一会」という言葉。
これは利休の高弟・山上宗二の説話がもととなっており、その後、井伊直弼の著書『茶湯一会集』にまとめられて、茶の精神を表す言葉となりました。
「今日という日が再び訪れることはなく、ゆえにこの茶事は一生一度のもの」。亭主はそのような覚悟をもって、庭や茶室を清め、思いを込めた茶道具で客を迎えます。
茶事は、一汁一菜の質素な懐石料理を供する「初座」と、濃茶・薄茶を楽しむ「後座」の大きく二幕に分けられますが、クライマックスは後座の濃茶です。
濃茶の場では、ひとつの茶碗に全員分の抹茶が練られ、皆で一碗を飲み回します。濃茶の作法は厳格ですが、その緊張感も作用して全員の心は高められ、ひとつにまとまる瞬間を迎えるのです。
茶道具
茶事では、季節や年中行事などに合わせたテーマが、その会ごとに決まっているものです。
たとえば「七夕」であれば、織女・牽牛・笹・天の川などのモチーフが思い浮かびますが、主はそれに着想を得て茶入・花入・掛軸・香合などを選び、ひとつのストーリーに仕立てて茶席の会話が深まるようにしていきます。
客は、この日のために主が選んだ茶道具を鑑賞し、秘められたストーリーに耳を傾けるとき、そこに宿る風雅さや遊び心などに喜びを見出すでしょう。
「今日の茶事にお招きいただいて、本当に良かった」。そう感じていただけるように整えることが、茶道具の大切な役割といえるかもしれません。
<参考文献>
『茶の本』岡倉覚三 著・村岡博 訳(岩波文庫)、『日本の五感』小堀宗実(角川書店)
『茶 利休と今をつなぐ』千宗屋 著(新潮新書)、『茶の湯のことば』筒井紘一 監修・鈴木晧詞 文(淡交社)
『茶道BOOK』納屋菓人 発行(淡交社)、『はな、茶の湯に出会う』はな著(淡交社)